「おうち時間」と呼ばれる日々が長びいて、
食事を体にやさしくしたい気持ちが募ります。
たまにごほうびでケーキをたべるにしても、作って食べたい。
ポテチも食べたいけど、コンソメ味でなくうすしお味にしたい。
私は薬膳をお伝えしているけれどポテチが好きです。
最近ノンソルトのものをみつけて、
愛用のイギリスの塩「マルドン」とあらびきコショウを振ると、
うすしお味より全然おいしい。
とにかく、今は病院にはいきたくないし、
ふだんの食で健康をぐんぐん作れるものなら作りたい。
ならば食は薬になってくれるのか。
改めてそんなことを思います。
そんなとき立ち返るのが、あのコツのことです。
そのコツは、思い出せたら食が薬になるけれど、
忘れれば、同じ食べ物も害になる。
いつも思うそのことを、ここで文字にしてみたいと思います。
コツのお話の前に、
クラスでこの十年、頻繁に耳にしてきた
こんなエピソードを聞いてください。
例えば、生姜。
生姜が体をあたためるときいたから、
毎日食べているのに冷え性が治らない。
そんな声がクラスで本当に多いのです。
それでまず浮かぶのは、
生姜に温め効果が本当にあるのかという疑惑です。
でも、どうでしょうか。
たとえば栄養学で、ジンゲロール(加熱するとショウガオール)という、体温を上げる成分が生姜にある。
薬膳学的に「温中(おんちゅう)」「散寒(さんかん)」という内部から温め、寒さをとる効能が生姜にある。
昔から言われてきて、まだ今も言われている。
この事実については、すごいと思いませんか?
考えてみたら私たちは「生き残ったものたち」に、囲まれて生きています。
水や火も。りんごやみかんも。
結婚や恋愛も。足し算や手紙も。
ありとあらゆるものが「生き残ったものたち」で、
それらはきっと、人に何かしらの良い結果を残したから、
自然淘汰の対象にならなかったのだと思う。
だとしたら、生姜の温め効果も、
そのひとつだと思ってみると、おもしろいと思います。
たとえば昔、あるお医者さんが、
「○○さんとこのおばあちゃんの難病生姜で治ったどー!」と、
喜び勇んで、それを本に書き残して、
その息子もまた医者になり、父の教えとおり生姜を治療に使って
別に病気を治してそれを本に残しました、とかね。
いずれにしても、
残ったものには残るにふさわしいだけの、
輝かしい事実が存在したのでは、
だから消えずにに残ったのではと思えてなりません。
だったらなぜ、効能が感じられないということが、
起きるのでしょうか。
これは薬膳をはじめた多くの人が一度は当たる壁だと思います。
私もそうでしたが、あるとき気づいたことがありました。
それからは、効能が感じられないことはほとんどなくなったと思います。
クラスで耳にタコができるほどお伝えしていることです。
このブログで4回にわけて文字にしてみたいと思います。
(②につづく)