おはようございます。
窓をあけると風よりさきに、光がさしこむ。5月の日差しは、夏ですね。
自粛という名のプロジェクトに、参戦中の私たち。オリンピックは延期でも、自粛オリンピックは続いていて、世界はひとつになっている。
コロナが走ることをやめないのは、人がこの毎日で得られるものがあるから、という考え方があって、
大概のことはやりきるまで終わらないから、
コロナも、得ることをやりきれば終わるんじゃないかと思ったりする。
今得られているものを書いてみました。出てくる出てくる、今までしていなかったあれこれ…!
ささいなことで笑う
昨日、オンラインのミーティング中に、「おいも〜 いしやき〜いも〜」と、聞こえてきて(相手の画面から。お話のいいところで。)チャンスきたーーー!とばかりに笑いました。
みんな笑いたいんだと思う。
話を中断してまで笑うことは、意外としてこなかったな。今、誰と話しても、ささいなことを、わざわざとりあげて笑いあっている気がするな。
家でコーヒーを飲む
仕事は、スタバに行かなければはじまらなかった。
コーヒーは身支度をしてお化粧をしないと、ありつけないものだった。
今は、着替えなくても、すっぴんのままでも、コーヒーが飲める。この10年、まずなかったこと。なんか自由だ。
掃除が日課に(人生初)
そのコーヒータイムで。
窓の緑から視線を足元にうつしたときに「そこにあるのなに、ほこり?」となるのは、この毎日において、かなり残念なこと。いや、絶対避けたいこと。
家事の中で、まったく熱心ではなかったもの、掃除。
これが日課になる日がくるとは、人生、これっぽっちも思わなかった。
気まぐれシェフサラダ的生き方
今は、
「何時に出かけるから、何時までにおわらせよう」と、
「何日に会うから、何日までにおわらせよう」が、
ほとんどない。
気まぐれシェフサラダを作るシェフのように、入れるものを自由に決めて1日というサラダを作っている。「さーて、何しよっかな」が、口ぐせになっている。
ゆっくり、推奨
状況がどうなるかわからないから、すぐに行動しない方がいい。
そんな毎日があっただろうかいやなかった。(反語で強調)
これまで周りが急いでいる中で、ゆっくり歩くのが難しかった。
コロナが終息しても、ペースは今の自分でいく。初めてそう思えている。
自分から手を伸ばさない
全てではないにしろ、いつも追いかける側なことに少し疲れていた。
今は、もらうお話に手を引かれて、その先の景色をみせてもらう、そんな生き方が楽しい。そんな生き方が私にもできるんだと、感動している。
おわりに
こうしてかいてみると、今は、自分のことのなかの、変化についていくのにいっぱいいっぱいなのがわかります。
社会に対してできることは、まだもう少し、自分の箱の中を整理してからにしたいのがみてとれます。
でも、少なくとも以前より、丁寧に生きていることもわかります。
陰は、光がないところに現れない。
例外のない、自然界の法則です。