薬膳の講座でたまに、「効いています」とムリに言わせてしまう結果になることがあって、うーんと、唸ります。

最近ハマった食べ物をきいて、この食材は、こんな症状のときにおいしく感じるのだけど、お心当たりありますか?と尋ねて、あ、はい、そういえば、と慌てる様子がみてとれて、あちゃ、言わせちゃった、と気まずい空気になって、気づくんですよね。

ただ、薬膳の肩をもつわけではないけれど、それは話し手の質問のしかたの問題で、本来効能って、すごく自然で、誰にも経験のあるようななものなんです。

例えば、鯛焼きをたべて「美味しい!鯛焼きってこんなにおいしかったっけ!?」と、思ったときは、効いてますねー。

鯛焼きに使われている、小麦粉か、餡子か、お砂糖が、そのときダメージを受けていた内臓と呼びあい、うまくマッチしたから、細胞レベルにおいしいのだと思います。(でも私の場合、.ほんとにおいしいものは体調に関わらずおいしいので、そこは見極めます)

問題は効いていないときで、わからないうちに食べ終わってるんですよね〜。。

例えばその同じ鯛焼きを「普通においしい」とニコニコ食べ終わったときとか。

いいことです。効いてないというのは、弱ってないということ。可もなく不可もなくおいしいことは、激しくおいしいより、実はいいことです。

この2つを履き違えないようにしなければなあ。

ここ数年、土井善晴さんの考え方に、ふれるたび納得してしまうのですが、土井先生もおっしゃっていました。毎日の食事は、ふつうにおいしいが一番。ハレのおいしさではなく、ケのおいしさが、からだに一番なのだと。

冒頭の穴に嵌まり込んだときのことを思いだしながら、薬膳は効いてる自覚がないとつまらない、みたいにならないようにしたいものだなあと、思いました。

ただ、ここで気になるのが「過剰」です。ふつうにおいしい、を通り越して、過剰。例えばその同じ鯛焼きを、

「一個は多いなと思いながら、残す理由もないし、大して味わうでもなく完食したものの、もたれてる」

としたときです。そんなこと、
「鯛焼きってこんなにおいしかったっけ?!」
みたく人に言わないし、内心思い返すことすらしないかも。なかったことにしてる。

そう、過剰は、食べたことを葬らせてしまうのです。

同じ鯛焼きの扱いとしては、3つの中でこれが一番かわいそうでしょ?鯛焼きもだけど、鯛焼きを形作るお砂糖や、小麦粉や、餡子や、職人さんも。

ちょっとお話がそれましたが、効く、は、調子が悪いから効くのだということ。効いていないなら元気で、それが一番だって言いたかったのです。

薬膳って、むずかしいですよね。健康のためのものだから、効かせてかなきゃ意味がないみたくなりがち。もちろん、どこか悪いときはそれが、治る に通じるのだから、やはりいいことなんです。

ただし、それ以上に幸せなことが「ふつうにおいしい」です。

そう思えた日は、内臓の使い方に均衡がとれているという風に思いましょう。薬膳は本来元気なときに不調を予防するための、食事なんですから。