てづくりのずんだ大福。
料理研究家の浅田先生が、クラスのあとにプレゼントしてくれました。枝豆の歯応えがおいしい。そして豆のパワーがあります。ただ甘いものを食べるのより全然力がみなぎる感じ!
ところで皆さん、今日、「暑い」っていいました?
そりゃいいましたよね。
わたしは今朝、誰かの「暑い」という声でハッと目を覚ましたら、それは私が言ったのでした。
扇風機を消して寝たので、部屋がビニールハウスみたいにモワッモワになっていたんですね。
だけどいいんです。これで。
今日は暑くていいというお話、「邪」のお話を書こうと思います。
そもそも「邪」ってなんなのでしょう。邪のつく熟語を辞書でひくと、
「邪悪」…有害なもの、さま
「邪心」…悪い心
すごくワルそう(笑)
だけどこれは誤解で、中医学を紐解くと「邪」が、命を救うメッセンジャーであることがわかります。
たとえば、今朝の私は、起きて「暑っ」といいましたが、この「暑っ」を、わたしは言おうとしていったわけではない。むしろ、わたしは眠っていたかったのに、からだがわたしを無理やり起こしたのに近かった。
そう、この「暑っ」による目覚めは、体内がどんどん上昇することに生命の危機を感じた心臓が、わたしにメッセージをおくったと考えられます。
昔も今も治療に用いられる五行論において、心臓は、命にかかわる臓器でありながら、暑いのが苦手です。
これは現代の医学でもいろいろ説明できますが、本当に暑さ苦手度、心臓ダントツ!(笑)
なので自分のキャパシティを超える高温を察すると心臓は、「限界がきそう、涼しくして」と、からだの持ち主であるわたしに訴えかけてきます。
命がかかっているので、その訴えは執拗です。今朝の例でいくと、まず私に「暑い」と言わせ(まだ5:00だったのに)目を覚まさせたあと、台所まで歩かせ、水を飲ませ、トイレにも行かせ、ぬるいシャワーを浴びさせ、レモンバーベナのルームスプレーをとってこさせ、部屋にシュッシュさせました。
そこまでしてようやく私、というより心臓は、ひとここちつき、スイスイと身支度を終え、炎天下の朝を元気にでかけることができたのでした!
たまに考えるのです。
もし暑いっと思いながらガマンして寝つづけたら、わたしはどうなるんだろうと。
もし、お水を飲まなかったら、
おトイレをガマンしたら、
ぬるいシャワーを浴びなかったら、
わたしは今日、ついに無事でいることができなかったのかもしれないと。
内臓は、いつもすんでのところで命をつないでくれています。そりゃ暑いのはいやだし、寒いのもいやだけど、このしんどさがなかったら、どうやって内臓の異変にきづくことができるでしょう?
内臓が、しんどい条件下から脱するように私を突き動かすからこそ、私が生きていられている。
これがからだの声だと、思おうが思うまいが、暑っとつぶやきペットボトルのお水を買うのです。
からだの声には、もう一種類あります。
「なぜか大福をたべたい」とか「急に東京駅が見たい」とか、命の危険のなさそうなのは直観であって、これは「邪」とはいいません。
直観もからだの声だから、無視はしないほうがいいのですが、邪はさらに本能的な、動物的が生きのこるための欲であり、叫びで、めんどうくさいからと見ないふりをしても、ダメなのです。
…と、かいていたら、今まさに心臓が暑がりだしました!お水飲みたい!ずんだ餅ももう1つたべたいけど、お水がのみたい!
みなさんの心臓はなんていってますか?
からだとはずっと仲良くしたいものですね〜。
⇩レモン水。
レモンにこもった熱を取り去る「清熱」(せいねつ)という力があるので心臓さんのご機嫌をとるにはもってこい。