朝起きてお水がやけにおいしいと、
浄化の日がきた、と思います。
1ヶ月に1度くらいあるのです。

浄化の日がくると、
まずお水がいくらでも飲めます。

ふだんそれほど飲めるほうではないのですが、
この日ばかりは日に何度も、
500mlのペットボトルを(少し残して)一気に、
のんでしまいます。

そして、水分の抜かれた食べ物を欲さなくなります。
それは、焼かれてみっしりと凝縮したもの、
たとえば、パンや焼き菓子などが(ふだんは好きなのに)
熱く重く感じられて、
かわりに、水分をたっぷり含んでほどけたもの、
たとえば、生の果物が(ふだんも大好きですが)
五臓六腑にしみわたるようにおいしい。
日中はグレープフルーツやはっさくの丸々1個を、
2回くらい、
いつも食べるりんごやバナナは少しだけになり、
でも、その意味では、とにかくお水、
お水こそが「水をたっぷり含んでほどけたもの」のトップ。
ほんとに、いくらでも飲めます。
吸い込みますといったほうがいいくらい。

日中はそんなふうに、
おなかがすくたびお水、みかんで満足するので、
ごはんもう要らないかな、と思うのですが、
夕方になると途端に、
あんなにおいしかったお水が飲めてもひと口、
喉をおちなくなり、
果物も冷たくお腹に留まりだして
手が伸びなくなり、
夜には、塩気の効いたサラダを食べたくなります!

私は生野菜が好きで、
夜ご飯には種類を選ばず大皿一杯、
野菜のサラダをたべるのですが、
浄化の日は、小松菜、大根をベースに、
春なら春菊やセロリ、夏はトマトやきゅうりやミョウガ、
秋冬は白菜や蕪や豆腐(野菜ではないですが)を、
ワッサワッサとお酢とお醤油で和えて、
トッピングに人参とアボカドをちらして(ナッツではなく)
オイルは迷うけど、結局入れないことが多いです。

浄化の日は、行動も違います。
パソコンの合間にせっせとストレッチをしたり、
雨でも駅まで歩いたり。
「疲れを一箇所にためまい」
「古いエネルギーを使い切ろう」
と言わんばかりに、からだのほうからうまく動いてくれる。
荷物も軽く(手帳やiPadさえもたずに)、
一冊選んでバッグに入れる本も薄くて小さなもの、
文体のやさしい、みためまで余白の多いものになる。
浄化の日は、頭も使われるつもりないのです。全然。

という感じで、浄化の日はかなり特別で、
翌日は当然、とてもとても、体調がよいです!
本当は毎日やりたいくらいで、
行動だけやってみたこともあるんだけれど、
これが、心身のバランスがちぐはぐというか、
おいしい!とか、うけつけない!とか
体の声が聞こえてこない。
感覚があいまいで何をやってもスッキリしないし、
そもそもお水を、そんなにたくさん飲めません。
なのでまあ、そのときがきたら、ワーイ!とばかりに、
浄化のムードを楽しむことにしています。

これって、
こころが求めて、からだがしたがっているのでしょうか。
からだが求めて、こころがしたがっているのでしょうか。
わからないけれど、からだってつくづくよくできています。
整体観念って、よくいったもんだ、本当に!