小学1年生の頃、団地暮らしのベランダで飼っていた金魚が、死にそうになったことがありました。

パクパクしながらおなかを上にする姿、目がうつろに丸いのが、なんとも苦しげで。死んでいくのをみているしかなくて、たまらなくかわいそうで、どうしたらいいかわからなくて7歳の私は、
原稿用紙に作文を書きました。

よく「筆が走る」などと作家先生たちの間でいいますが、この7歳のときの経験ってそれだったんじゃないかと思うんですよね(作家気取り)

嗚咽しながら清々しいような、何かがのりうつっているような不思議な感じを今でも鮮明に覚えています。

書くことが、ずっと癒しみたいです。読むのも、本を探すだけでも癒し。母が本の虫だったので、図書館につとめていたし、プレゼントもいつも本だったし、いい思い出がセットになっているのかもしれません。

わからないことがでてくると、本屋にいけばなんとかなる。本にはわからないことがなんでも書いてあるし、探す時間で元気になったりする。

同じテーマで3冊買うのも好きです。3人の人の考え方をぜーんぶ感じてみて、今の私にとっていちばんいいように解釈して、暮らしの中でやってみる。本から始まるその一連の流れも愛しています。

本は、信じられます。
だって紙に印刷されて全国にいっちゃうんだから、書いている人だって、違うんだそういうことじゃないんだ、みたいなままOKはできないよね。その人が、言葉を選び抜いてできている感じがするのです。

ホリエモンのように全著ゴーストライターがかいている人もいるけど、それだって入稿前のチェックとかでしっくりこなければ、そこはこう言い換えて、とかいうと思う。

本人がかいていなくても、童話や小説であっても、本はその人生の体験集じゃないかな。自分が描くことを想像するとそう思うんです。ページに載る言葉は、検索ででてくる重みと、ありがたさが私の中で全然、違います。

やっぱりこの人生で本を書きたいな〜。

Macの中に色々書き散らしてはいるんです。でも、出版がきまってそれ用に本を書くってどんな感じなんだろう。

ちょうど良い言葉をあてがったり、形容詞をぴったりくるまでさがしたり。違うってなれば、一から書き直したりもするんでしょうか。

きっと、心⇄言葉 の変換の熱量で、すごいエネルギーを使うんでしょう。なのに本って、1500円などで、感動的に安い。それでも書いた人にもお金が入る。出版とはすばらしい文化です。

ということで、今日もわからないことがあって本屋さんにいきました!お店にはなかったのでアマゾンで買って、今Kindleで読んでるところです。

これまで読んだ本の書き手のひとたちに、感謝を贈りたい。

人として大事なこと、体験、捉え方。本の通りやって違ったこともあるんですよね。でもこのやり方は違うってわかるってことがまた財産というか、前に進めるのよね。

ちなみに本の虫は、英語でBookwormだそう。今ロンドンの友人がLINEで教えてくれました。
The lost mother was a bookworm.
私もbookwormです。姪っ子もそうなったらいいなー。