東日本大震災から8年。
14:46、今年は何をしていましたか?
私はマンツーマンの授業中でした!

目の前の授業が大事だから、
何も遮らずにその1分がすぎました。

何かすばらしいことをしたから
話題にだす、じゃなくていいんです。

「○○ってこうだったね」
「〜が好きだったね」
「想像もつかないけどどんな気持ちだっただろうね」

って話していくだけでいい。

話題にだされたり、書かれたりすることが
亡くなった人たちには何よりも嬉しい。

そのことを、そうだ!と心から思えた本でした。
毎年ご紹介しています。今年もご紹介します!

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▶︎過去のブログ「悔しがって泣くこと」

この本の感想文↓↓↓

……
2015/3/30

いとうせいこうさんの「想像ラジオ」という小説を読みました。3月11日の震災を受けて作られた物語で、本屋さんで平積みになっていました。

悲しさでも淋しさでもなく、この本を読んでこぼれたのは、悔しさの涙でした。

深井家の話になってしまいますが、うちは父が40歳で奥さんを亡くしました。弟と私はそれぞれ自分のお母さんを失い、妹はママに会えず、母は10ヶ月間楽しみに待っていた赤ちゃんを、抱っこできずに逝きました。

この本はそんな風に、唐突に命を奪われた人の物語です。

突然すぎて、自分が死んだなんて信じられない。もがきながら、変えることのできない現実を受け入れていく。その混乱と絶望が、見えない世界から淡々と描かれています。

母がいなくても、わたしには家族と友達がいて、クラスでたくさんの笑顔に出会えて、毎日は淋しがる間もなくすぎていきます。ヨガに出会い、起きることはベスト、悪いだけのことなどないと、そういうことも理解していたはずでした。

でも、本を読みながら私は確かに、悔しいと思っていました。

父が一人で家にいること。母がそばにいてくれないこと。母と出かけられないこと。母が妹の結婚式にでていないこと。母が何をしたというのか。父が何をしたというのか。

30年以上たって、改めて湧き上がった気持ちに戸惑いながらも、逝った人の言葉で綴られる悔しさが、本の中からひしひしと伝わってきました。それを受け止めながら、そうか、わたしは母が亡くなって悔しかったのか、と気がつきました。

たまに、母と話したいなと思うときがあります。謝りたいことや、聞いてみたいことや、一緒にやりたいことを思いだしたりして。

この本を読んでからは、それは母にとっても、嬉しいことなんだと思うようになりました。

悔しがるのはいけないことだと思っていたけれど、悔しいからこそ、些細な思い出を忘れないでいられたり、会いたくて涙がでたりして、ずっと母と心の交流ができるのです。母を思い出すことのできる一番の存在が、私たち家族なのです。

生かされている私たちは、亡くなった人を思って悔しがっていいのだと思います。母がいなくなったからこそ得られたことがあったとしても、それで全てをプラマイゼロに整理しなくてもいいのです。

母の事故も震災も、私は地団駄を踏みそこねていたかもしれません。いいから悔しがろ、忘れることなく思いだそう!読み終わって、スコーンと晴れやかな気持ちでそう思いました。

14時46分、今年はTTのみんなと黙祷をします。そしてわたしの1日、24時間を、ありがたく大切に使おうと思います!