先日、叔父夫婦と3人で
鎌倉に行きました。
叔父は父の弟です。
私たち兄弟はこの叔父叔母が大好き!

「4月ごろにみほちゃんの案内で
一日遊ぼうっておじさんと話してるから」

と、暮れに叔母から
電話をもらっていたんですよね。

叔母はよく気のつく優しいひとなので、
父を亡くしたばかりの私を、
励まそうと思ったのかもしれません。
私も張り切ってプランしました。

予定をあわせたら、丁度父の月命日で、
偶然だな〜と思っていました。
お昼は、叔父が「天ざる」をご馳走してくれました。

話は変わりますが、今日、仕事帰りに、
バスを乗り過ごしたんですね。

たまにやるんですが、今日のはなんだか、
夢中でスマホしてたわけでもないし、
心静かに本を読んでいて、
外の景色もたまに眺めていたし、

確かに、
降りるブザーは押さなかったけど
それは、いつもは誰かが必ず押すからで
他に降りる人がいないのも珍しいし、

あれー?という感じで、
いつものバス停を窓から見送りました。

スーッと連れていかれるみたいな、
不思議な乗り過ごしでした。

まぁでもならばと少し先の
ホームセンターまで足を伸ばしたんですね。

シューキーパーを買う予定で
買い忘れたなと思っていたので、
だけど、今日お財布忘れていたのねー。

一日スイカで行動していたこと、
今日はお買い物とかできないこと、
ホームセンターに着いてから思い出しました。

それなら何故私ここまできたんだろ?

2度目に不思議さを感じた瞬間、
おそばのつゆの濃い香りが
鼻にくらっと入ってきて
おそばやさんが目に入って、
あっと思いました。
父だ、と。

昨年亡くなった父は、
たべられない病気で、
ずっと「天ぷらそば」を食べたがっていました。

まだ、出かけることができていた頃、
弟の車で通院した帰り、
そのホームセンターに寄って、
そのおそばやさんの前も通りかかって、

「あんまりいい匂いがして、
食べられないのに近寄って行っちゃった」

と、帰ってきてしょんぼりと、
私に話してきたことがありました。

食べられない、ということのさみしさ、
どんなに悲しいものなんだろう。

父の食べたい気持ちの言葉は
いつも胸がしめつけられました。

深く考えないようにしていないと
そばにいられませんでした。

その会話、
そして叔父たちとたべた
おいしい天ぷらや、おそばの味が、
おつゆの匂いで
一気によみがえりました。

で、やっちゃったー!と思いました。
わたし忘れてたんだ!?と。

だって間違いなくアウトです。
オレが天ざる食べたがってたことを
誰も思いださないなどという事態は
父さん的に完全アウト!←さみしがりやです

諸説あると思いますが、私は、

人は、亡くなったら
辛かったものが全部なくなって、
生きてる人のそばで楽しく過ごしてる

という説が、つじつまがあっている気がしていて、
父も、今は天ざるでもなんでも、
好きなだけ食べていると思っているんですが、

「そりゃ毎日食べれてるけど、
あの天ざるは特別旨かったなぁ」

と、たぶん、
みんなで話したりすることも含めて、
その日を楽しみにしていたのです。

なのに肝心のみほこが思い出さない、
となって、強引にこう、
バスを乗り過ごさせたりホームセンターの
二階(おそばやさんは二階です)へ、
手を引いてったり、したのでしょう。

そんなことあるかって?
全然、あるでしょうね!

根拠はないけど、
バスを乗り過ごしたときの妙な自然さ。
二階へ上がったあの当たり前な感じ。
おつゆの強烈な匂い方も、
全部リアルでしたからね。

この偶然を、
きっと偶然ではないので、
記録しておこうと思いました。

そうだ叔父に写真を送って、
「父さんもずっと天ざる食べたがってたよね」
と手紙添えようっと。
それで父さんのごきげんとろう笑

今日は家族の話でした!